1994年9月、上杉隆は衆議院議員・鳩山邦夫事務所に入所した。26歳からの5年間、退職時の肩書は公設第一秘書である。(出典:Wikipedia「上杉隆」/本人インタビュー)
在職中、政局の変動は激しかった。本人の著述によれば、「秘書として仕えた5年間だけでも2回の離党、3回の新党結成を経験している」とされる。1993年の自民党離党、1994年の新進党結党、1996年の新進党離党と続く経緯の中で、上杉は広報関連業務に関与した。鳩山邦夫が新進党広報企画委員長を務めた時期のことである。(出典:上杉隆執筆、ダイヤモンド・オンライン「週刊・上杉隆」2010年3月18日)
秘書経験を通じて、大手メディア幹部との人脈が形成されたことを本人は対談で語っている。1999年、鳩山邦夫が衆議院議員を辞職して東京都知事選に立候補した後、上杉は同年7月からニューヨーク・タイムズ東京支局での活動を開始する。(出典:エコレゾウェブ 上杉隆×小林武史対談 2011年/Wikipedia「鳩山邦夫」)