1999年7月、上杉隆はニューヨーク・タイムズ東京支局での活動を開始した。役職名の表記は資料間で異なる。Wikipedia(日英)は「リサーチャー」「research assistant」と記し、本人公式サイト・新潮社・講演事務所のプロフィールはいずれも「取材記者」と記している。独立は本人公式プロフィールによれば2002年である。(出典:Wikipedia「上杉隆」/本人公式プロフィール uesugitakashi.com/新潮社著者プロフィール)
在籍中に起きた出来事として、本人が自ら語っているのが小渕恵三首相インタビューをめぐる経緯である。東京支局が小渕首相へのインタビューを企画し、議員秘書時代の人脈を通じて申し込んだところ首相側からは了承を得た。しかし内閣記者会(記者クラブ)への日程連絡を求められたところ、「単独インタビューは認められない」との回答が返ってきたという。本人の著述によれば、「仮に首相側が拒否したなら記事は書ける。単に『首相はインタビューを拒否した』と書けば良い。しかし、首相はOKしたが、政府機関でも何でもない記者クラブという組織が拒否したのでインタビューはできなかった、と説明しても、ニューヨークの読者は誰も理解できない」と支局長が語ったとされる。(出典:J-CASTニュース連載「新聞崩壊」第1回、2008年12月30日、本人談)
上杉本人の執筆によれば、「官報複合体」という造語はこのニューヨーク・タイムズ東京支局勤務時代(2001年)に着想されたものである。欧米ジャーナリズムの取材独立原則を間近で学ぶ中で、日本の「官(政)・報」が一体化した情報システムを表現する概念として生まれたとされる。(出典:上杉隆 note「【衝撃】『官報複合体』が生んだサナエトークン誤報。」2026年3月5日、本人執筆)